日誌

大学卒業2ヶ月前からの日記

日誌

小学校の頃は悲しいことがあると絵本か絵日記を描いていた。

プールの帰り道、車から見えたあのグレーの塊は鳩の死骸だったんじゃないかとか。

中学からはずっとインターネットに日記を書き続けた。高校の時は鍵付きの誰にも見せないFC2ブログを毎日2千文字ぐらい更新してた。

 

不登校の頂点で全ての意識がうちに向かっている限界値ぐらいだった時に咲子と出会った。

ロングヘアにうんと腰でまくりあげて短くしたチェックの真っ赤なプリーツスカートとお揃いのネクタイ、華やかな顔をした女の子と腕を組んで廊下を歩く同じく華やかな顔立ちの咲子はとても友達になれる人種には見えなかった。

2年のクラス替えで名前順の結果、私の真後ろが咲子になった。通っていた高校は日直がなんでも良いので日誌を書くというのが決まりごとになっていてみんな好き勝手なことを書いていて、その日誌だけが唯一私が高校の中で好きなものだった。あと、昼休みに誰もグループを作らずみんな前を向いてだまってむしゃむしゃ弁当を食べているところも好きだったけど。

夏休み明けすぐ日直になった私は、みんなが書いた文章を読み尽くした後、自分の日記をなぐり書きした。誰も見ないと思って好きなことを書いた。

物理の時間、咲子に「夏休み何があったの?」と声をかけられた。その後も遠足の時とか、事あるごとに咲子は私の夏休みについてを聞いてきた。私はどうせそんなに今後関わらないだろうって思ったのと、咲子のまっすぐな大きな目になんだから負けて色々話した。咲子はふーんって感じで聞いてた。

 

なんちゃって制服を着てロングヘアーで彼氏持ちの咲子と毎日ジャージとマスクにメガネを装備して誰よりも早く帰る私がまさかこんなに仲良くなるなんて想像もしてなかった。

咲子と初めて出かけたときに渋谷で見たペドロ・アルモドバルの「私が、生きる肌」は今でもマイベスト映画だし、咲子に連れてかれたT大の公開講義がクソつまらなかったこととか、その後なぜか咲子が眠いと言って帰ってしまって私一人で行ったことのない渋谷の名画座で一人で見るには退屈すぎるアニメーションを見て帰ったこととか。

高校を卒業してからお互いに忙しくて1年に2回ぐらいしか会っていないように思うけど、なんだか怒涛だった高校時代、お互いの人格に私たちはすごく影響してた。今だっていつでも頭のどこかに咲子がいる。

 

だんだん大人になっていろんな人を見てしまうと自分の全能感や無限の可能性も消えて恥とカッコつけたい気持ちだけが大きくなって、あの頃のような怒りと興奮と悲しみに満ちた、私ただ一人がこの世の主人公であるような、熱のある文章なんてとてもかけなくなってしまったと思う。書いてはいけないのでは?と思う。

 

大学1〜2年の頃には日記ではなく初めて不特定多数の人に見られるブログを始めたけどそれもそのうちに飽きてしまった。日記をなんども始めようと手帳を開いたけど続かない。だからまたやっぱりキーボードで日記を書くことにした。

 

日記を書くと強すぎる自意識がさらに強くなってしまう気がして嫌だけど、でも日記を書こうと思うといろんな無駄なことを思考するようになってそれが好き。